少し個人的な話をさせていただきますが、先日「おくVILLAGE」と言うブログを運営している、カナダのワーホリ仲間でもある、奥村さんと話していた時に「楽」と「楽しむ」についての話題が上がりました。
そんなこともあり、「楽」と「楽しむ」ことについての僕なりの考えを記事にしたいなぁ〜なんて思いこの記事を書いています。
「楽をする事」と「楽しむ事」って同じ漢字を使っているのに、全く違う意味ですよね。
僕は、「楽」をする事が必ずしも、「楽しむ事」には繋がらないと思うんです。
僕も「楽」な方を選択する事はたくさんあります。その方が効率が良かったり、「楽」をして時間を節約した分その時間を他の事に使うなんて事もできますし。
それに、面倒臭い事は出来るだけやりたくないと思っています。
「根は面倒臭がりなんですw」
ですが、これだけは言わせていただきたい!
僕は常に「楽」をしてるつもりは全くないです。「楽」をする時はしますし、そうでない時は「楽」はしません。
僕の場合は、「楽をする事」よりも「楽しむ事」の方が重要だからです。
理想は「楽をして、楽しむ事」なんですが、それはなかなか難しいなと言うことに気がつきました。 っと言うのも、逆に「楽すぎるとつまらない・物足りない」という事が起きるからです。
微妙に矛盾しているかもしれないですが、実際に思った事なので事実ですw
なので、「楽しむ」には「楽な事」ばかりしていてもダメなのではないかなと。
そんな感じの「楽」と「楽しむ」についての僕なりの考察です。
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「楽をすること」の利点
まず、「楽をすること」の利点について。
僕の中で、「楽」=「便利さ」だと言えるのではないかと考えています。
現在僕たちの生活は日に日にとても便利になっていますよね。
「遠くにいる人と話すこと」「海外に行くこと」「移動すること」など、本当に「楽」にできますよね?
- 「遠くにいる人話すときは、手紙や伝書鳩ではなくてスマホや電話を使えばいいです」
- 「海外に行くときは、飛行機を使えばいいです」
- 「その辺のコンビニに行くときも、車や自転車を使えばいいですよね」
- 「知りたい情報もインターネットで調べる事ができます」
そして、それらの手段を使えば何より「楽」ですよね?
僕はひと昔前の時代に生きていたわけではないので、実際のことはわかりませんが、ひと昔前は車の代わりに馬を使ったり、郵便もないときは、人間自身が自身の足を使って山を越えて手紙を届けたりしていました。
そう考えると、これらの便利な先人の方々の発明たちのおかげで、僕たちは大変便利な生活を送る事ができています。
そして、何よりそれらによって、「時間の短縮」が可能になったと言えるのではないかと。
手紙を届けるのに、数週間、または数ヶ月かかったのに、現在はEメールやLINEなどを使えば、数分、または数秒で相手に自分の伝えたい文章が届きます。電話も同じですね。
そう考えると、ひと昔前までは手紙一つ送るのに多大な時間がかかっていたのに、今は数分で出来るということは大分時間の短縮になりますね。
車などの乗り物もそうです。
例えば、県外や海外に遠出をするときに、一昔は自身の足を使って、海外に行くのも船を使っていました。ですが、現在は人の足の代わりに車など、船の代わりに飛行機を使えば目的地に行くのにかかる時間をかなり短縮できるようになると思います。
そう考えると、本当に便利です。先人の方々のおかげです!! 本当に感謝ですね。
「楽をすること」の弊害
ただ、「楽をすること」にも弊害があるとも思います。
大まかに挙げてみると、
- 「身体能力の低下」
- 「思考力の低下」
- 「記憶力の低下」
- 「コミュニケーション能力の低下」
- 「好奇心の低下」
などなど。
僕もそうですが、田舎に住んでいるとどうしても足代わりに車を使ってしまいがちです。
例え、歩いて10分ぐらいの距離ですら、車を使ってしまいますしw
このように、車ばかり使って歩く機会が減ってくれば、もちろん足腰は弱くなりがちです。もちろん、普段から運動をしていると言う方も多いかと思います。
ですが、山を歩いて越えているような時代の、ひと昔前の人達と比べると足腰の強さは大分違うのではないかと予想できます。
僕が子供の時は、友達の自宅の電話番号をほとんど暗記していました。数でいえば10人以上の電話番号ですね。
もちろん、僕の記憶力がずば抜けているとかでなくて、結局何度も電話をしているうちに思えてしまうと言う感じでした。その頃は携帯なんて持っていませんので、電話帳に登録するなんてこともありません。
どこかにメモをとるぐらいです。
結局、何回もかけるので覚えてしまうんですけどねw
しかし、現在は全くと言っていいほど友達の電話番号を覚えられませんwっと言うか、覚える必要がないとすら思っています。
「だってスマホがありますからねw」
他にも、字を書くときに漢字が思い出せなかったりすることも頻繁にありますね。
パソコンやスマホで字を打つ事が多くなると、勝手に正しい漢字に変換してくれるので、実際に自分で字を書くときに書き方を思い出せないなんてこともあります。
それぐらい、自分の手で字を書く事が減ってきていると言うことです。本当に頻繁に漢字が書けないと言う事が起きるので、「これはちょっとまずいな」と感じますね。
その他にも、「LINE」や「Facebook」などのSNSのおかげで、人と簡単に繋がれるようになりました。その点ではとてもいい事だと思っています。
しかし、その反面、実際の人対人の付き合いが苦手という方もいるのも事実です。
携帯がない時代は、人と人との付き合いが当たり前の時代でしたので、そう考えると昔に比べると、実際の人対人のコミュニケーション能力が低下しているとも考えられるのかなぁと。
正直言って、昔と比べたところで、これらの能力が低下してるのか本当のところはわからないとも思っています。
「だって、昔にはスマホなんてなかってですからねw」
もし、昔の時代にスマホがあったらどうなってたかなんてわかる訳がないですし。
単純に、ひと昔前と比べると、様々な能力は低下しているかもしれません。その反面、「知識」「学習能力」など基礎の能力など、ひと昔前に比べると段違いに向上している能力だってあるはずです。
考え方を変えれば、その時代に適した能力を身につけているということなのかもしれません。
「楽をする事」と「楽しむ事」について
「楽をする事」と「楽しむ」についての僕なりの考察です。
基本的に、僕自身「楽」をしたいと思っています。
徒歩よりも車を使う。
手紙よりも、「LINE」を使う。
本を買うときも、本屋に行かずにネットで買う。
などなど。
自分の生活において便利だと思うものは、なんでも使います。
ですが、全てにおいて「楽」をしたいとは思いません。
もし、自分が「楽しい・楽しそう」だと思えることに対しては、絶対に「楽」をするつもりはないです。
っというか、「楽」なことだけをしていたところで「楽しく」はないからです。
ロールプレイングゲームをやった事がある方はわかるかもしれませんが、初めから攻略本を見てゲームをクリアするのと、あれこれ試行錯誤してゲームをクリアするのってどっちが楽しでしょうか?
僕は、確実に後者の方ですね。
「あーでもない、こーでもない」と言いながらやるのが面白んですよねw
そして、何よりゲームの物語が進むにつれて、さらにワクワクしてくるんですよねw
それが、もし攻略本を見てしまうと、もう全てがわかってしまいます。ラストのエンディングで何が起きるのかもわかってしまいます・・・・。
これほど、つまらないものはないですよね・・・・。
まだ見ていない映画や本の内容やオチを先に言われるのと同じですねw
ラストの内容やオチを知って観る(読む)のと、知らずに観る(読む)のとでは、その時のワクワク感が全く違うものになるはずです。
何を言いたいかというと、
「もし、何かの目的地に行く事が目的ならば、「楽」をします」
しかし、そうでない場合、
「目的地に行く事が最終的な目的でない場合は、その過程を楽しみたい」
っと考えています。
むしろ、その過程を楽しむ事が何よりも「楽しい」のではないかとすら思います。
はっきり言って、最終的な目的はどうでもいいんです。その過程を如何にして楽しめるかが重要なのではなかと。
結局、目的は達成してしまえばそれで終わりですからね。
いわゆる、「全クリ(ゲームを全てクリアする事)」ですw そのあとは何もありません(たまにボーナス特典があるぐらい?
それは、僕たちの普段の生活、はたまた僕たちの人生に対しても言えることではないのかなと。
以前に、「迷ったときは「楽しそう」を基準に選択する!決断できない時に使える方法!」の記事でも少しお話していますが、何かを選択する時に、「楽な方」を選ぶのではなく、「楽しそう」な方を選ぶ方が、後々辛い事や悲しい事が待ち受けていたとしても、後悔はしないと思っています。
それに、自分が「楽しい」と思える事ならば、どんな辛いことでも乗り越えられるとすら思います。
たとえ、乗り越えられなくても、僕は後悔はしないだろうと。
まとめ
僕自身、何か辛い事や面倒臭いことをなどに直面すると、どうしても「楽な選択」をしようとします。
上記でも言っていますが、基本的に「楽」をしたいですし、面倒な事は嫌いなんです。
はっきり言って、ただの面倒臭がりです。
そんな人間ですが、常に「楽」をしようとは思っていません。
それはなぜか?
単純に、 「楽をする事が、楽しいと思えないからです!」
とはいえ、たまには「楽」をしたいと思う時もあるわけで、その時は楽をしますけどねw その場合は「楽しむ事」を求めていないとも言えますね。
最後にまとめると、
自分にとってどうでもいいようなこと、あまり重要でない事は「楽」をする。
しかし、自分にとって重要な事は、決して「楽」な選択はしない!むしろ、するべきではないとすら思っています。
だからと言って、わざわざ「楽ではない選択」ばかりをした方がいいと言っているわけではありませんw
上記でも言いましたが、「楽をして、楽しみたいから、そのためには楽じゃない選択もする」と言う感じですね。
僕の基準だと、もしその選択が「楽な選択」だとしても、自分が「楽しい」と感じる事ができるならばそれでいいと言う事です。
今まで、「楽(ラク)そう」だからという理由で「楽な選択」をして逆に後悔した事があります。
ですが、楽(ラク)そうでも、そうでなくても「楽しい選択」をして後悔をした事は一度もない気がします。 僕の記憶にはありませんねw
僕の脳が都合よく記憶を消し去っているなら別ですけどねw
楽な選択をするのも、楽じゃない選択をするのもその人の自由!
ただ、「楽だから」と言う理由で何もかも選択するのは、「どうなんだろうねぇ〜」って思うけどね!
でも、逆に「楽」すぎて、つまらないって感じることもあるのも事実!