「何気ない日常」だって大切!つまらない一日でも一生に一度の日には変わりない!

「一打の重みも知らない奴にプロを目指す資格はない!」

皆さん、この言葉ご存知でしょうか?

はじめに言っておきますが、別に偉人の名言とか、格言などではありませんので。

実は、昔に読んだゴルフ漫画「ライジングインパクト」に出てくる言葉ですw

上記の言葉の補足

小学生の主人公がゴルフを始めてプロを目指すという内容の漫画なのですが、主人公はドライバー(ゴルフではじめに打つやつ)が大得意。ですが、アイアンやパターは全然ダメダメ。

ある時、生涯のライバルとなる相手とゴルフ対決をします。その時に、生涯のライバルに言われた一言です。

要は、ドライバーで遠くに球を飛ばせるだけじゃ、ゴルフでは勝てない、プロにはなれないと言った意味合いだと僕は解釈しています。

何故、急にこの言葉について話しているかと言うと、先日何気にふと頭にこの言葉が浮かぶ出来事があったからです。

ただそれだけw

その出来事とは、

ふと何気に、周りの人たちを眺めていて、

なぜ、「普段の何気無い一日はあまり重要視しないのに、イベントや記念日などの一日は重要視するのか?」

っと疑問に思ったからです。

さらに噛み砕くと、

「平日などの何気無い一日」自体には特にフォーカスをあまり当てない。むしろ、あまり関心がないように見える。特別には重要視していないと感じる。

その「何気無い一日」が当たり前にあるという前提で過ごしていると。

その反面、「何かイベント事や記念日と言った特別な事がある一日」には無駄にフォーカスを当てる。あたかもそれがかなり重要な事のように。

もちろん、自分が楽しみにしているイベントや記念日は僕たちの生活にとって重要な事です。

ですが、「平日などの何気無い一日」も「何かイベント事や記念日と言った特別な事がある一日」も同じ一日なのではないのでしょうか?

「どっちの一日も、同じ一日には変わりはないんじゃないのかなぁ〜」っと。

そんなことを考えていた時に、上記の言葉がふと頭に浮かびました。

少し、僕の中で変換されはいましたけどねw

こんな風に、

「一打の重みを知らない奴は、ゴルフをやる資格はない!」

と。

そして、勝手にアレンジを加えて、こうなりましたw

「一日の重みを知らない奴は、生きる資格はない!」

ちょっと、偉そうな名言に聞こえますよね?笑

べつに難しいことを考えていたのではなく、ただ単に思いつきですw

「なんでかなぁ〜?」っというように軽〜い感じの疑問

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一年に一度の日という希少性

何故、記念日やイベントごとがある一日を特別視するのか?

僕が考えたのは、「希少性」があるからなのではないかと。

一年に一度だけのイベント・誕生日・祝日・お祭りなど。

「普段の何気無い一日」は、毎日あることが当たりまえだと思っている方が大半だと勝手に僕は思っています。

しかし、一年に一度しかないイベントごとは、一年365日ある内のたった一日だけしかないから希少だと感じるのではないかと考えました。

それゆえに、「普段の何気無い一日」は、それほど重要視されずに、何か特別なことがある一日は重要視されるのかなぁっと。

僕自身も、明日があることが当たり前だと思っている節はあります

ですが、そんなのは実は誰にもわからないっていうのが、真実なのかもしれません。

以前に、「もし、「明日死ぬとしたら?」あなたは何をしますか? 大人になって改めて考えてみたお話」の記事でも少し書いていますが、当たり前の明日が必ずくるとは誰もわかりません。

「もし、明日死ぬとしたら?」あなたは何をしますか?大人になって改めて考えてみたお話

2018年2月11日

もしかしたら、寝ている間に地球がなくなるかもしれませんしw

少し考えすぎなのかもしれませんが、絶対はないというのは真理だと思います。

一生に一度の一日は重要でないのか?

「一生に一度の一日は重要でないのか?」

っという疑問が浮かびました。

どういう事かというと、

僕たちが何気なく過ごしている一日

例えば、

  • 「平日の月曜日」
  • 「何もすることがない休日の一日」
  • 「漫画を一日中読んでいた一日」
  • 「一日中テレビを眺めていた一日」

などの何気無い日常。

特に特別なイベントなどがない、僕たちが当たり前のようにあると思っている一日です。

「そんな一日はどうでもいい一日なのか?」

考え方を変えれば、上記で言ったように「一年に一度の重要な一日」と同じだと考えられるのではないかと。

「僕たちの命が続く「一生での一日」と考えた場合はどうでしょう?」

「重要なイベントや記念日などがある一日」も「何もせず家でゴロゴロしている一日」も、一生に一度しかない一日には変わりないのではないのかと。

わかりやすいかどうか微妙ですが、簡単にいうと

僕たちが「何気に過ごしている一日」も、一生に一度きりの一日であって、そこにイベントや記念日などの特別なことがあろうとなかろうと、僕たちが生きている内にたった一回しか経験できない一日ではないのかということが言いたいんです。

さらに噛み砕くと、「昨日も今日も明日も僕たちの一生で、一度きりしかない一日」だと。

まとめ

今回は、別にオチも何もありませんw

ただ単に僕の中の疑問を吐き出しただけです。

最後に僕が言いたいことをまとめると、

「日々の何気無い一日」ですら、重要でない・希少でないということは無いということ。

どんな一日でも、一日の重みは全て一緒なのではないかと。

上記で紹介した関連記事について、もし自分が明日死ぬとわかってしまった場合、明日の一日があなたにとってどれほど重要な一日になることは想像できるのではないでしょうか?

正直いうと、僕はそのような体験をしたことが今の所ないので、実感はありません。もしかしたら、さらに年を重ねれば実感する時が来るかもしれませんけどね。

そんな感じで、「何気無い一日」も大切な一日だと言うことを意識しながら生きていく事も大切なのではないかなと、ふと感じたという記事でした。

タツキチ

以前に、歴史の教科書でもおなじみ、ガンディーの「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」という言葉を読みました。

これは「一日を全力で生きろ、無駄にするなと」いうような意味が含まれているように感じます。

要は、一日の大切さを言っているとも解釈できるのかなと個人的に解釈しました。

別に偉そうなことを言いたのではなくて、特別なことがあってもなくても、「何気無い一日」があることに感謝して、その大切さを意識するだけでも何かが変わるんじゃね?

ってな感じです。

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