「価値観は人それぞれ?」価値観は比べることによって初めて自分の価値観になる!

同じ人などこの世に一人もいない!

一人一人それぞれ個性を持っていて、人それぞれの価値観がある。

僕も以前から「価値観は人それぞれだ!」と思っていました。

人によって色々な意見、考え方、感じ方など全てにおいて違う、全く同じなんてことはありえないと。人によって共感できる事も、できない事もあると。

それが人の興味深く、面白いところだとも思っています。

世界には本当に色々な人がいると。

「価値観は人それぞれだ!」と。

ですが、最近ふと「価値観は人それぞれだ」っと言う言葉に少し違和感を覚えました。

その違和感というのが、

「価値観は人それぞれだから」と言うことによって、「人それぞれだから、その人の価値観には鑑賞しない」、「人それぞれなのだから、その価値観を尊重する」とも解釈できるのではないかという点です。

確かに価値観は人それぞれだと思っています。
それが、同じ環境で育った兄弟でもそれぞれ価値観は違うとも。

「価値観は人それぞれ」というのはその通りだと思っているので、その言葉に違和感があるわけではないです。

今まで、僕自身も会話の中で「人それぞれだからねぇ〜」なんてよく言っていました。

「人はみんな違うし、人それぞれ違っていいに決まっている!」などと、物知り顔で、あたかも人生経験豊富な人みたいな感じで言っていましたねw

ですが、最近その自分の言葉に違和感を覚えています。

スポンサーリンク

「価値観は人それぞれ」と言う言葉の違和感の理由

誤解のないように、「価値観は人それぞれ」と言う言葉自体には違和感はありません。

実際に、「価値観は人それぞれ」だと思っていますし。

それは別にいいんです。

何が、違和感を感じさせるのか?

それは、「価値観は人それぞれだから」と言ってしまうことによって、それ以上意見交換をしないと言っているように感じる点です。

例えば、こんな会話、

Tom

そんなに海外に行ってて何が面白いの? 日本で就職した方がいいんじゃないの?一体いつまでそんなこと続けるつもりなんだよぉ〜。

全く理解できないわぁ・・・。

そんなこと言うなよぉ〜。う〜ん、とりあえず気がすむまでは続けるかなぁ〜。俺なりの考えがあるってことだよ!

価値観は人それぞれだからねぇ〜♫

Tom

まぁ、それもそうかもねぇ。まぁ、好きにやりなよ!

こんな感じの世間話ですが、何か違和感を感じましたか?

会話的には特に何もおかしな点はないですよw

僕が違和感を感じるのは、最後の会話の部分です。

「価値観は人それぞれだからねぇ」っと言ってしまうと、そこで会話が終わってしまいますよね?

何が言いたいかと言うと、価値観って違う人の価値観とも比べることによって、さらに自分の価値観を作っていくものじゃないのかと思うんです。

「価値観は人それぞれ」= 「相手の価値観にはあまり鑑賞しない」というようにも解釈できるなと。

これによって、価値観同士の比較、議論することができないのではないかと。

そうすると、その人それぞれの価値観を知ることすらできないのではないかと思ったんです。

何が言いたいかというと、

他人と価値観の交換、すなわち意見交換ができないのではないかということです。

価値観って結局は、その人の考え方、捉え方など、その人の考えの基準となるものですよね?

それなのに、「価値観は人それぞれだから」っと言って、それだけで済ましたてしまうのはどうなのかと思ったのです。

人と価値観を比べることについて

最近は、あまり人と比べることを良しとしないという雰囲気もあるようですね。

びっくりしたのが、小学校のかけっこの順位をなくす学校があるという話は僕の中では記憶に新しいです。

「人は人、自分は自分」などと言って、他人と自分をあまり比べるなと言う意見もありますしね。

個人的には、他人と自分を比べることは別にいいのではないかと、むしろ比べた方がいいとも思っています。

理由は、人と比べることによって、自分の新たな一面に気づくことができるかもしれませんし、もしかしたら自分の考えが間違っていたかもしれないなどと気がつくキッカケになるかもしれませんし。

それに、人と比べることによって、自分の力不足に気づき、さらに自分磨きをするモチベーションになる場合だってあると思っています。

ただ、人と比べすぎて、劣等感を抱いたり、自分を見失ったり、人の目ばかりを気にしてしまうようならば、比べない方がいいかもですねw それなら、ひたすら自分を貫いた方がいいかと。

比べる際の比べ方次第ですね。

要は、客観的に比べるか、主観的に比べるかってことですかね。

価値観もそれと同じことなのではないかなと。

ただ、比べることによってその価値観を真っ向から否定したり、自分の価値観のほうが正しい、優れているなどといった考えしか思いつかないようならば、もうどうしようもないですね。

「一生やっててくださいって感じです」

それこそ、「価値観は人それぞれ」だと言いたくなりますねw

価値観の形成について

「個人個人の価値観ってどうやって作られていくものなのか?」

専門家ではないので詳しくはわかりませんが、

素人の考えで、価値観は、「親の影響」「育った環境の影響」「読書などの影響」「そのほか社会生活で出会う人達の影響」「インターネット」などがあると思います。

子供の頃は家族や学校の先生、友達などのの影響を主に受けると思います。それが、社会に出て色々な人に出会い、仕事を始め、色々なことが出来るようになり、色々な価値観に触れて自分なりの価値観を作っていくのではないかと。

そして、大人になってからも日々色々なことを経験し、考え、自分なりの価値観を形成していくものだと僕は思っています。

その価値観は常にアップデートされていくものだと。

インターネットからの価値観の形成

本当にあり得るのかどうかはわかりませんが、

正直いうと、SNSなどネットで形成される価値観はちょっとどうなのかなと個人的には思いますが・・・。

本来なら、実際に自分が経験したことなどを元に作られる価値観が、ネットからだけの情報で形成せれてしまうのは少し危うい気がします。

ネットは情報がありすぎますし、それが本当のことだと信じてしまえば、これがその人の価値観の基準になってしまうなんてことになりかねないのではないかと・・・・。

もちろん、有用な情報もたくさん、しかも簡単に手に入ります。
その点では本当に便利ですしね。

ある程度、年齢を重ねた僕たちですら、ネットでの情報を結構鵜呑みにしてしまいますしねw

なので、現在は子供の頃からネットを使う子も増えていると思うので、あながちあり得ない話ではないかと。

まとめ

「価値観は人それぞれ」という言葉について違和感を覚えたので、その違和感について考えてみました。

もしかしたら、僕は今まで「価値観は人それぞれだ」と思っていながら、実は、「その人それぞれの価値観」にあまり関心を寄せていなかったのかもしれないなと感じてしまいました。

っというのも、あまり家族、友達などと自分自身の価値観について、相手の価値観について議論をしたことがないなと思ったからです。

結局、自分で「価値観は人それぞれだから」と言ってしまえば、「そうだね」の一言で終わってしまいます。

僕自身も相手からそう言われれば、「そうだね」と言ってそこで会話終了ですw

最後に、価値観って他の価値観と比べて、それによって改めて自分で考えて、初めて自分の価値観になるのではないかなと。

そうでないと、時代、年代、親、仕事の環境、住んでいる環境、育った国など、自分が身を置いている環境の中での価値観があたかも自分の価値観のようになってしまうのではないかなと。

だって、それがそこでは当たり前のことなんですから。

スポンサーリンク

この記事が何かのお役に立てたら嬉しいです!