何かを「知る」っと言うことは、本当に楽しいことです。
今まで知らなかったことが知れると言うことは、大げさに言えば自分の中で新たな世界が開けます!
そして、「知る」ことによって、出来ることも広がります!
例えば、
何か語学を学び「知っている」ことで、他の世界の人たちと会話することができるようになり、さらに色々な経験をしたり、学ぶことができます。
まぁ、当たり前のことですが、「知る」と言う事はとても重要です。
ですが、最近ふと思ったのが、「知った気になっている事」って結構あるなと。
僕自身でもそうですが、ネットや雑誌、本などから仕入れた情報をさも自分が体験したことのように感じて、自慢げに人に話したりしてしまうこともあります。
でも、それってただの「受け売り」ですよね?
自分の経験や見解ではないですよね?
そんな、「知っている」と「知った気になる」についての考察です。
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「知った気になる事」と「知る事」について
最近はインターネットの普及で、誰でも、何処でも、何時でも、自分の知りたいことを簡単に知ることができるようになりました。
もちろん、全てを知る事は無理な事ですが、大抵の疑問は解決してくれるのではないかとすら思います。
それほど、簡単に「知る」事ができるようになった事は、すごく便利で素晴らしい事です。
ですが、その弊害として「知った気になる」っと言うこともあると言うことも気をつけなければいけないなぁっとふと先日思ったのですが、
なんと言うか、
例えば、有名人などの話をするときなどに、
「あの人は〜をしたすごい人で、あんな偉業を達成した。でも、若い頃は苦労してたんだよ! すごいよねぇ〜。」
みたいな感じの会話をしたときに僕が思うのが、
「へぇ〜そうなんだぁ〜」「すごいねぇ〜」っと感心する反面、
「よく知ってるねぇ(その人について)」「実際に会ったこともないのになんでわかるんだ?」
っと言った事。
あたかも、自分が実際にその人に会って直接その話を聞いたかたかのような話し方をするということ。実際に自分で確かめたのではなく、ネットや雑誌などで見た情報を元にね。
ですが、僕のような庶民には有名人に実際に会う機会など、まずないと言っていいので、実際に確かめると言うことができません。
なので、雑誌やテレビ、ネットなどの情報を信じるしかないです。
ですが、本当にそれがその人の人物像なのかは、実際にはわからない。わかる訳が無い。
人に関しては、前に会話することの大切さ!たった一回の会話で人の印象は180度変わることもある!」の記事で、実は僕たちは人のほんの一面しか見ていないのかもしれないと言う内容のお話をしました。
極端な話、たとえ直接話したことがあったとしても、人の全てなんてわかる訳が無いと僕は思っています。
本心を言わないという人もいるかもしれません。それに、自分自身ですら自分の本心が分からないという場合もあるわけですし・・・。
さらに言うと、人の考えなどは常に変わって行くものだと思います。
「あの時は、そう言ったけど、やっぱり違ったかも・・・・。」なんて思うことなんてしょっちゅうあるのではないでしょうか?w
「知る事」について
そんな「知る」っと言うことですが、ただ単純に「知識」として「知っている」っと言うことも重要ではありますよね。
「知らない」のと「知っている」のとでは「知っている」ほうがいいと僕は思いますし。ですが、もちろんただ知っているだけでは、特に何も生み出さないとも思います。
ただ単純に「知識として知っている」だけでは、結局はその人の頭の中にそれらの知識があるだけですしねw その「知っていること」を駆使して、自分で考えてこそ、その「知識」が役に立つものになるとも思います。
それらの「知識」を何にたいしても活用しなければ、もはや「知る」必要もないのではないかとすら思えてしまいます。
その「知識」を使って自分で考えて、どう活用するかが重要だと!
「知った気になる事」について
それとは違って「知った気になる事」とは、
上記でもお伝えしていますが、雑誌・本・インターネットなどの媒体を通して得た知識をそのまま鵜呑みにして、それがあたかも、自分で経験したことのように、知っている事のように感じてしまう事だと。
付け加えると、その知識に対して何も自分の考えが入っていない場合がほとんどのように感じます。
要は、それらの知識・情報を、そのまま鵜呑みにしていまうと言う事です。その情報・知識に関して、疑問を持ったり、自分なりの考えがないと言うことですね。
個人的にですが、そのような会話ってどうしても退屈に感じてしまうことがありますね・・・。
もちろん、有名人や偉人の人生などに興味はありますよ。それに、かなり参考にだってなります!
ですが、そう言った情報って大体、本やネット上にたくさんある情報がほとんどですよね・・・。
会話の中での一例として、話題にするぶんにはいいですし、ちょっとした会話ならば全く問題ないですが、そうでない場合は本当に退屈な話だと感じます。
その人やその話題がすごいことで、興味深いと言うことはわかるんですが、どうしても自分で体験していないので、今一イメージできない。
なんと言うか、リアルに聞こえないんですよねw
嘘ではないことは間違いないと思うのですが、それでもどうしてもリアルに感じられないと言う。
「だって自分自身で体験してわけではないんですからねw 当たり前ですよね」
「知る」の意味
そもそも「知る」の意味は、
- 心でとらえる。
- (他と区別して)その存在を認め、またはその情況や内容、意味・価値を、こうだとつかむ。
- 記憶にとめる。
- 体験する。習い覚えて身につける。
っと辞書にはあります。
僕も頻繁にあることですが、本や人の伝いで聞いた話などを、誰かに話すときについつい、さも自分で体験したのように話してしまうことがありますw
実際に、その話しについて「知っている」には違いないんですけどねw
なんと言いますか、自己啓発本や実体験の話などを読んだりした時に、その話はその本を書いた人、体験した人の体験談、考えであって、それが自分に当てはまるとは限らない。
しかも、それが大勢の人の役に立っているとしても、自分に合うのかなんて実際はわからないですよね。
何が言いたいかというと、
「たとえネットやテレビなどで「知る」ことができる情報をそのまま鵜呑みにするのはどうなんでしょう?っと思うっということです。」
そして、その情報をそのまま鵜呑みにしてしまうことによって、その情報によって、考え方などが狭まってしまうこともあるのではないかと思うということです。
「〜はこうだから、こうなるはずだ」、「あの偉大な人がこんなことを成し遂げた、僕たちも見習うべきだ!」「あの有名なビジネス書に、書いてあった!」などなど。
もちろん、歴史や昔の偉人や成功者の体験談などはとても参考になりますし、勉強にもなることは間違いないですし、学ぶべきだと思っています。
ですが、その情報を完全に鵜呑みにするだけでは、結局その人たちと同じことをしてるだけであって、自分の考えはどこにあるんでしょう?って感じですよねw
なので、昔の偉人の言葉や有名な方の成功体験などの知識を知ることは大切ですが、全てを真に受けるのではなくて、参考程度に考えて、あとは自分で考えるっということも大切なのではないのかなということです。
僕自身も「知った気になっている事」が多いんだなと感じます。
これだけ、簡単に沢山のの情報を得られる時代です。それはとても素晴らしいことです。
ですが、それらの情報をすべて鵜呑みにするのはちょっと危ういのではないかとすら思う時もあります。それらの情報が全て正しいのかどうかなんて正直わかりません。
なので、全てに対しては無理ですが、少しでも自分で考えて・体験することも重要だなと!