今日の飲み会行くか行かないか迷う、、、。
何かを決断する時に、あたなはどのように決断を下しますか?
普段の生活で人からの誘われたけど、なぜか行くか行こうか迷うこともあるかと思います。
時には人生においてとても大きな決断であったり、今晩のおかずはどうしようか?のような些細な決断であったり色々です。
私たちは毎日のように決断することが沢山あります。それがすんなりと決断できれば何も問題はありません。
ですが、重大な決断はもちろん、些細なことですらもどうしようか迷ってしまう時もあると思います。
優柔不断な方だと普段から「どうしようかな、、、。」と口癖のように常に迷ってしまうのではないでしょうか?
正直なにかを決断する時って面倒ですよね、、、。人生において重要な決断は本当に嫌と言うほど悩む方がいいと思います。
ですが、飲み会に行こうか迷うなどという些細なことで無駄に悩むのももったいないです。
そんな些細な決断をする時が自分なりの基準を持っておけばそれほど悩まずに済むこともあります。
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どうしようか迷ったときは常に「楽しそう」が基準になる
自分言うのもあれですが、僕は結構優柔不断な所があります。
当たり前のことですが、自分が絶対にやりたいと言うことに対しては全く迷いません。
そんな時は、すぐにやります。
「なので、決定も早いですw」
ですが、どちらでもいい事に対してはかなり優柔不断です。
「だってどっちでもいいんですからねw」
それに、選択肢が多い場合もかなり迷ってしまいます。欲張りな話ですが、どれもこれもやってみたいと思ってしまうんですね。
そうなると、「完全に決められませんね」そして、決定をどんどん先延ばしにしたり、適当に「じゃあ、これでいいや」と決めてしまって後で後悔したりすることもあります。
ですが、最近気がついたのですが、何気に僕の人生の中で決断してきたことに対してほとんど後悔がないと言うことに。
まぁ、自分で決めてきたことなので当たり前なのかもしれませんが、それでも改めて考えると後悔が殆どないと言う事実は驚きだったのです。
そして、僕がどうしようか迷ったときに決断する基準として、それをやって「楽しそうなのか?」が基準になっているなと言うことに気がつきました。
どうやら、今まで楽しそうな道を常に選んできたようなのです。
以前に、「高校中退したその後の選択について!中退したって人生終わるわけがない!」の記事でも書きましたが、僕は高校中退しています。
ですが、全く後悔はしていません。
高校を辞めて、働き始めることが僕にとっては「楽しそう」だと思ったからです。
「そんなの結果論だ!」と言われれば、何も言い返せませんが本気でそう思っています。だからと言って、高校を中退することを勧めているわけではありませんよ!
そのほかにも、僕はワーキングホリデー制度というものを利用してオーストラリアやカナダなどに滞在していたことがあります。
初めて海外に行こうと決断した時は相当悩みました。
ですが、この時も「楽しそう」と言う基準で考えて決断しました。もちろん、いろいろな選択肢も考えてのことは言うまでもないですが。
ですが、現在後悔はしていません。
最終的に周りになんと言われようと自分が後悔しない選択ができればそれでいいんです。
迷ったときの決断の基準の選択肢は沢山ある
何かを決断する時に基準とする選択肢は沢山あります。
もちろんよく考えればただの言い訳としか思えないようなことも含めてです。
結局それは自分自身で決断したことですので文句は言えませんよね。
迷ったときはやらない
迷っていると言うことは、それに対して絶対にやりたいと思っていないと言うことです。
ですので、そんな時は初めからやらないと言う基準。
迷ったらとりあえずやってみる
上記とは逆に、迷っているならばとりあえずやってみると言う基準。
僕はどちらかと言うとこのように考える方です。
「何事もやってみなければ分かりませんからね」
よく「やらずに後悔するより、やって後悔する方がいい」などと言われますよね。
個人的にはどちらでもいいですが、多少はわかるなと。正直言って、稀にやって後悔することもありますからねw
まぁ、それはやってみたからこそわかることではあるんですけどね。
後々のことを考える
何かを決断する時に、それをやってみてこの先どうなるかを具体的に考えてそれを基準にすると言う場合。
これは、誰もが考えることですよね。
「これをやることによってどうなるのか?」っと。
はっきり言って後々のことも考えることはとても大事なことです。全くのノープランで決定してしまうと、後々かなりの後悔が襲ってくる場合もあります。
ですが、後々のことを考えすぎて何も決められなくなると言う弊害もありますね。
これは僕も頻繁に陥るのですが、
- 「これをやることによってどうなるのか?」
- 「これをやることによって何か得られるのか?」
- 「これをやることによって何か得があるのか?」
など、損得で考えてしまったり、何か得られる前提で考えてしまうことがあります。
この場合は、正直決められなくなりますね。
「だって、未来のことは誰も予測できませんからね!」
僕個人的には、後々のことも考えますが、それとは別に他のプランB・C・Dといくつかのプランも考えつつ、それをやることは「楽しそうなのか?」を一番の基準にして考えます。
もちろん損得なども考えますが、そうすると本当に決められなくなります。
だって、「もし損したらどうしよう?」って考えてしまいませんか?
そうなったら、もうダメですね・・・。
周りを基準に考える
これは、個人的にあまりやってはいけない事だと考えています。
周りの環境、家族・友達・仕事・世間体などを基準に考えてしまう場合。
そうなると、選択肢がかなり少なくなる場合があります。
本当はすごくやりたいことがあるのにも関わらず、家族や友達に「そんなのやっても無駄だ!」などと言われたからやらないと言う決断を下すなどと言った場合。
これは本当に良くないです。
自分自身がそれで本当にいいと思っているならば、それでいいです。ですが、そうでないならばそのように決断しない方がいいかと。
人によってはそのような選択ができない環境にいる方もいるかもしれません、ですが大体の人はそんなことはないはず!
出来る環境にいるにも関わらず、周りを言い訳にして本心とは違う選択をするとこは避けたいですね。
まとめ
どうしようかなと迷ったときに何を基準にするかは人それぞれでいいです。
自分がそれで納得出来るならば。
そうでない場合は、もう一度本当にその決断でいいのかあなたの心に聞いてみるのもいいのではないでしょうか?
僕はいつも、選択肢がいつくもある場合「どれが一番楽しそうか?」を基準に考えます。
ただ、弊害として選択肢が沢山あり、どれも「楽しそう」と思うとなかなか決断できない場合もあると言う点。
「それは、ただの欲張りだろ!」
っと言われれば、その通りですねw
とはいえ、その中からさらにどれが一番楽しそうかを選べばいいだけなんですけどね。
結局は、自分が楽しいかが一番重要と言うことです。
もちろん、家族・恋人・友達・同僚たちのことも重要ですが、まずは自分自身が楽しくないとどうしようもないですしね。
念のため、決して「楽な方」を選ぶとは言っていません。あくまでも「楽しそう」を基準にと言うことです。
その決断が険しい道だったとしても、それが「楽しそう」と思うならばそっちを選ぶべきだと言いたいのです。