自分の選択が「正しいか・間違っているか」なんて誰にも分からない! 何より重要なのは「その選択をする・した覚悟」ではないか? 

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正しい選択,間違った選択,分からない,覚悟

たまに、自分の選択が正しいのか・間違っているのか分からなくなる事ってないですか?

 

おそらく、「誰も自分の選択が正しいのか・間違っているのか」なんて分からないのではないかと思います。

そもそも、何事においても何が正しくて・何が間違えなのかですら、今一分かりませんしねw

 

以前の記事、「どうしようか迷ったときは「楽しそう」を基準に選択する! なかなか決断できない時に使える方法!」で、何かを決断する時や、決めるときには「楽しそう」という自分の感情に従って決断すればいいと言ったことを書きました。

どうしようか迷ったときは「楽しそう」を基準に選択する! なかなか決断できない時に使える方法!

2017.11.14

それは今でも同じことを考えています。

ですが、少し前にふとした拍子に、「自分の下した決断や行動が果たして正しかったのか、間違えだったのか」が分からなくなったことがありました。

 

上記でも言いましたが、「そんなものは誰もわからない」と僕は思っています。

「何が正しくて、何が間違っているのか」なんて分からないことを考えるよりも、とりあえず自分で正しい選択をしていると考える方が、よっぽどいいとも思っていますしねw

それに、もし自分の選択が間違っていたとしても、間違ったことを自覚して、やり直せばいいとも僕は思っていますし。

「だって、正しいか・間違っているかなんて、わかりませんもんw」

少しでも前向きでいないと、毎日不安を抱えながら生きる事になってしまいますし・・・。

それに、自分自身を自分で信じなければ、他に誰が信じてくれるのでしょうか?

「なんて、たまにはちょっと偉そうな事も言ってみますw」

 

まぁ、なんと言うか、「すべての事が正しくもあるし、間違えでもあるのではないかと」

その時代によっても、国によっても、「正しい事と間違った事」の基準なんて変わるわけですから。

 

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自分の選択が、誰かを救うことも、傷つけることもあると思った出来事

「ふと自分がやったことは、ただのエゴだよなぁ〜」っと思う出来事がありました。

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初めに言っておきますが、別に大した出来事ではなく、何気なく僕がとった行動からふと思っただけです。

 

それは、ある夜に家の玄関を出て夜風にあたっているときのことでした。

ふと玄関にあるライトが目に入り見上げてみると、そこには蜘蛛の巣があったんです。そして、その蜘蛛の巣には一匹の蜘蛛と一匹の小さい蛾が捕まっていました。

そこで、僕はふとバタバタと暴れている蛾の姿を見て少し考えました。

「蛾を助けてあげようかなぁ〜」っと。

そして、特になんの考えなしに蜘蛛の巣を破壊して、蛾を助けました。

 

はっきりって、これは僕のただの気まぐれです。別に、何か意図があった訳ではないです。

 

そして、そのバタバタしている小さい蛾を助けた後に、少し軽率な行動を取ってしまった自分に後悔の念が湧き上がりました。

 

その後悔の念というのが、

「確かに、蛾を助けたことによって蛾にしてみれば、九死に一生をえた気分でしょう! でも、その蜘蛛にとっては、ただの迷惑な話だよなぁ」っと

せっかく捕まえた獲物を逃してしまったんですから・・・。

もしかしたら、その蜘蛛にとっては数週間振りまたは数ヶ月振りの獲物だったかもしれないのに・・・。

そう考えると、その蛾にしてみれば、僕は、もう少しで食べられてしまったであろう所を助けた恩人。

その蜘蛛にしてみれば、僕は、せっかく仕留めた獲物を逃してしまった憎き奴になるのではないかと。

 

その時にとった僕の軽率な行動によって、「感謝の感情」と「憎しみ」の感情を同時に作ってしまったのではないのかと・・・。

もちろん、その蛾と蜘蛛にそう言った感情があるとは思っていませんけどねw

っと言った出来事があったわけです。

 

自然界の弱肉強食の世界ならば、弱い者が強い者に食べられるという事が普通の世界です。

ですが、今回僕がとった行動はどうでしょうか?

 

その一匹の小さな蜘蛛と一匹の小さな蛾にとっては、人間である僕は強者になるのかもしれません。

仮に僕がその2匹の虫にとっては強者であったとして、僕の気まぐれで、まるで神のように二つの命を自由に弄んでもいいものなのか?

もちろん、実際に弄んでいるわけではないですが、僕のその捕食された小さな蛾を助ける選択は果たして正しい選択だったのか?

その時は、「蛾が可哀想だから助けようかなぁ〜」っという、ただの僕の気まぐれで、そのような行動をとりました。

別に、「蛾に感謝されたいとか」「蜘蛛に恨まれるのかなぁ〜」なんてことは全く考えていませんでした。

「なんとなく蛾を助けたい気分と言った、自分のエゴによってよった行動です・・・」

もう一つの選択肢として、「双方に対して何もしない」という選択肢もあったはずですが、僕はあえて手を下しました。

 

なんてことをふとその時に考えたわけです。

 

自分の選択が「正しい・間違っている」よりも、「覚悟」を持つ事が大切!

そんなことを考えながら、思ったのが、

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起こしてしまった行動は、もうどうしようもありません。

『ドラえもん』でもいない限り過去には戻れませんし・・・。

 

後になって自分のした選択が正しかったと思うことも、その反面、間違っていたかも後悔することもあります。

どちらの選択をしたにしろ、その選択が正しい・正しくないにしろ、

 

「その選択をした事やする事に対して、覚悟は必要だよなぁ〜」っと思ったわけです。

 

今回の「蜘蛛と蛾」の場合を考えると、

「蛾には感謝されるかもしれないが、蜘蛛には恨まれるという覚悟をする」と言った感じでしょうか。

 

さいごに

何かを選択する時、特に誰かに対して影響があるような選択をする時は、その選択をする事に対しての覚悟が必要だと言いたかったのです。

もちろん、自分自身についての選択でも同じ事です!

自分で選択したのに、他人のせいにしたり、文句を言うのはおかしな話です。

 

自分がした選択によって、どうなるのかなんて未来のことは誰にもわかりません。

ある程は、度予測出来ることもあるかもしれません。

しかし、予測したとしても、必ずその結果になるわけではありません。

なので、何かを選択する時は、どちらの結果(良い結果も悪い結果も)受け入れる覚悟をするべきだなと言うことです!

 

変な話、晩御飯の選択にもある意味責任を持つべきだとすら思います。

例えば、

夕食を食べようとしていて、2つの屋台が目の前にあっとします。あなたが、右の屋台の方を選んで食中毒になったとしてもそれは、あなたが選択した結果であると。

もちろん、その右側の屋台の店主の衛生管理などにも問題があったのは間違いないかもしれません。

ですが、「選択したのはあたなです!」

食中毒になるのが嫌ならば、外食などせずに、自分自身で選んだ食材で料理をして食べればいいわけですからね。

「そんなの誰にも分かるわけない!」っと思うかもしれませんけどねw

それは、どの場面での選択でも同じと言えるのではないのかなと言うことです。

 

この場合はちょっと極端かもしれませんが、覚悟を持つと言うことはそう言うことではないかなと。

もちろん、文句を言ってはいけないとか、苦情を言うのはおかしいということを言いたいわけではないですよw

ただ単純に最低限の「覚悟」は必要だなということを言いたいんです!

 

タツキチ

普段の生活で、むしろ毎日選択をしていると思います。 正確な数はわかりませんが、数十回以上はしている気がします、

そんな沢山の選択がある中で、一つ一つをしっかりと考えて選択するなんてことは、まず無理ですw

それでも、何気にした選択だとしても、自分で選択して行動したことには間違いないわけですからね!

正直、僕自身言っていることも「正しいのか・間違っているのか」なんて分かりませんw 正しいと信じるしかないっすねw

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