今までにこんなこと考えたことはありませんか?
「自分にとって理想の生活ってどんな生活のことをいうのか?」
毎日仕事・学校などで忙しくてそんなこと考える余裕もないと言う方、または、特にそんな事気にせずなんとなく生活しているって方もいるかもしれません
とは言え、誰もが自分が思い描く理想の生活を送りたいと言う願望はあるはずです。
例えば、
- 「毎週、毎月のように旅行に行く生活がしたい」
- 「海外でのんびりと生活したい」
- 「大きな家に住みたい」
- 「毎日働かなくてもいい生活をしたい」
- 「好きな仕事をして生活したい」
などなど、考えてみれば無限にできてきますねw
ですが、様々なしがらみがあり自分の思い描く「理想の生活」を送ることはなかなか難しくもありますね。
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自分にとって「理想の生活」とは?を考えてみる
ふと、仕事中にもかかわらず「自分にとっての理想の生活ってなんだろう?」って考えてましたw
「そんなこと考えてないで仕事しろよ!」って声が聞こえてきそうですが、まぁ、そんなこともあったので、これについて記事にしたいなと思います。
っということで、あなたにとって「理想の生活」ってどんな生活でしょうか?
- 「やりがいのある仕事をすること?」
- 「毎日好きなことをして過ごすこと?」
- 「自家用ジェットを乗り回すこと?」
もちろん、理想の生活なんてものは人によって千差万別。人の数だけ理想の生活があると言えますね。
実を言うと、僕も考えていたんですがいまいちピンとこなかったんですね。
少し例えをあげると、
- 「仲の良い友達に囲まれた生活」
- 「結婚して子供を持っている生活」
- 「家にひたすら引きこもってる生活」
- 「海外での生活」
なんてことを色々考えました。
正直に言うと、全部いいなと思ったわけで、単純にどれも僕からしてみれば魅力的だと感じるのですが、それでもやっぱり「これだ!!」って言うのはないなぁと・・・。
よく自問自答するのですが、
- 「俺は、どうなりたいんだろう?」
- 「俺は、何がしたいんだろう?」
- 「俺は、何をしている時が楽しいのだろう?」
と。
なんとなくですが、自分の中でなりたい理想像があり、そのなりたい自分になるためにどんな生活を送っているかはあまり重要ではないのかななんて思ったりもします。
どこで、どのような生活を送っていいても自分が納得できる自分になれていれば、それで大半の事は満足できるのかなと。
なんと言うか、「豪邸に住む生活がしたい」とか「かっこいスポーツカーに乗りたい」とか「海外で優雅に生活したい」などはどれも理想的な響きはありますが、絶対欲しい生活ではなく、そうなったらいいかもなと言う単純に夢のような感覚かなと。
実際はそこまで強いこだわりはなく、それよりも自分自身が理想とすり自分になりたいなと思うのかなと。
一様ここでは「理想の自分」と「理想の生活」は別物と捉えています。
願望が理想の生活をするための「カギ」になる!
僕は以前まで「理想の生活」とはこのように考えていました。
「理想の生活」と言いますか「理想の人生」とは、ぼちぼち学校に行って、ぼちぼち仕事をして、ぼちぼち結婚して、ぼちぼち子供を育て、ぼちぼち老いて、安らかに死んでいくっというよくある典型的な人生とも言えますね。
子供の頃に「できれば、苦しまずに自分のベットの中で死にたいな・・・」なんて考えていましたw
と言うのがある意味、僕の中で人生の原型みたいなものだと思っていたわけです。
そして、それがある意味で理想の人生なのかなと。
そのかなで、いい学校に行き、いい会社に就職し、大きな家に住んでなどなど、細かいオプションをつけていくわけですね。
僕の中では、上記のような生活がある意味当たり前の事だと思って生きて来た節がある気がします。
と言うのも、自分の周り環境の影響もあるかなと。例えば、家族・友達・同僚などは大体この流れで生活していますね。
その中で生活していれば、必然的に僕自身もそう言う人生を送っていきますし、そういう生活が普通なのかもと考えるのも不思議ではないです。
それもあって高校進学の時は、なんとなく周りの皆んなが行くからとりあえず高校は行っておこうと思い高校に行きました。
ですが、以前に高校中退したその後の選択について!中退したって人生終わるわけがない!なんて記事を書いたのですが。なんとなく高校に行ったはいいものの結局中退してしまいましたけど・・・・。
記事でも書いていますし、上記でも書きましたが「楽しくなかった」んですね。どうやら、その基準は未だに変わっていないようですw
そして、そのさらに根底にあるのが「願望」なのかなと。
例えば、
- 「高校に行きたくないと言う願望」
- 「海外で生活したいと言う願望」
- 「楽しく生きたいと言う願望」
などなど。
その数は無限大です!
そして、その「願望」こそが「理想の人生」「理想の生活」「理想の自分」になるためのカギになるよね!
なんてことを思ったわけです。
それに加えて僕が勝手に思ったのが、「願望レベル」が高ければ高いほど、「理想の自分」「理想の生活」または「理想の人生」に近づけるのかなと。
ですが、残念なことに周りの環境や一般常識などによって、その願望レベルは常に下げられているのではないかと。っと言うことは、その願望レベルをあげるのにフォーカスを当てる事が「理想の生活」を送るために必要なのではないかと思ったわけです。
もちろん、どんな願望を抱くのは人それぞれ自由です。
明らかに、犯罪や人に迷惑をかけるような願望を抱きすぎるのは流石にいただけないので、そこはしっかりと理性で抑えておきましょうw
自分の中の妄想だけで楽しむ分には問題はないですけどねw
とは言え、必ず理想通りになるとは限らないと思っておくべし!
はじめに「理想通りの人生・生活」を何と無くでもイメージしてみて「こんな自分になれたらなぁ〜」とか「あんな生活が送れたらなぁ〜」なんてあれこれ考えてたりするかと思います。
そして、その理想通りになるように何かしらの行動をとったり、努力したりするかと思います。当たり前ですが、思ってるだけで行動しなけらば何も変わりませんので!
とはいえ、自分が描いている理想通りになるように努力していても、大抵の場合自分が考えている理想通りになるなんてことはまずないですよね。
「僕の今までの人生の中では無いと言えますよ!」
でも、それって当たり前のことだと思うわけで、上記でも書いていますが理想なんて常に変わるものです。それに何かしらの出来事によって自分の好みなだって変わるわけですし。
そもそも、自分も変わるのはもちろんですが、周りの環境だって変わるわけです。今現在が理想だと思う人生でも、5年ご10年後には理想の人生ではなくなることは確実にあると思います。
なので、「自分の理想通りの生活や人生」は、あくまでもただの理想であって絶対では無いなと。言ってしまえば、「理想通りになることはまず無いなと」思っていた方がいいなと。
そうでないと、実は自分が思い描いていた理想通りの生活や人生とは違うと思っていた人生の方が、実はしっくりくる生活、人生だったなんてことに気づかずに無駄に今までの理想の生活を追い求めすぎて、せっかくのチャンスを逃してしまうなんてことにもなりかねません。
要は、自分の理想通りの生活・人生を手に入れるために、あまり自分の理想ばかりに固着しない方がいいのではないかなと思ったわけです。
そう考えると、「理想の生活・人生」はそこまで細かく考えない方がいいのでは無いかと。むしろ、あやふやな感じ「こんな感じの生活・人生がいいなぁ〜」っと少し肩の力を抜いてゆる〜く考えるぐらいがいいのではないのかなという結論に今回は達しましたw
最後に
そんな感じで、「理想の生活」などについて考えていた今日この頃なんですが。
はっきり言って、正解なんてないですよね。っと言うか正解を探す必要なんてないとも言えると思います。
自分が、「これが俺の理想だ!」と思えれば、それがあなたの理想になりますから!
理想なんて常に変わっていくものです。むしろ変わっていく方が好ましいとすら思います。
仕事もしかりで、自分の理想の職業を見つけ、理想の職場で働くことが出来たとしても、年齢を重ね色々と経験していくうちに他のことに興味をてば、また理想は変わっていくと思います。
そんな時は柔軟に違う道を探すのも一つの選択肢だと思います。
もちろん、古き良きものは残していくべきだと思っていますけど、あまり固着しすぎるのも考えものかなと言う事でした。
でも、「僕・私はこうなりたい!」っと言う思い(願望)があるだけで、自分の行動やモチベーションにも繋がってくると常々思っていますけどね!
むしろ、そう言った感情などがないならば、他にやることってないですよねw そうなれば、本当にただ単に死ぬをも待つだけの人生になってしまうのではないかとすら思いますね・・・。