「理由と本心」何かを始める時に理由なんて必要ない!?理由なんてただのおまけのような物!

何か新しい事を始める時や何か決断をする時って色々と悩みますよね?

そんな時に、僕たちはそれらを始める「理由」をまず先に考えてしまいがちです。

僕自身もそうですが、何か新しい事を始める時や何かを決断する時に、まず「なぜそれをやるのか?」「それをやってどうなるのか?」など、まず始めに何かしらの理由を探してしまいます。

就職などで仕事を選ぶ時を例に挙げてみると、

「なんでその仕事をやるのか?」「やりがいがあるのか?」「安定している仕事なのか?」「自分の将来のキャリアになるような仕事なのか?」などと考えてしまうのではないでしょうか?

ただ、これらのことは実際にその会社で働いてみなきゃわからない事も多いのも事実。

「給料」「やりがい」「安定」「キャリア」など、これらって結局後からわかる事ではないのかなと。

実際に、仕事を始めてみて、「給料が低かった」「やりがいがない」「全くキャリアにならない」という事実に気がつく事だって珍しくないのではないかと。

何が言いたいのかと言うと、何かを始める時や何かを決断する時に、まず「理由」を考えることははっきり言って無意味じゃないかなぁっと。

何か新しい事を始める時などに、まず先に理由を考えたとしても結局それは自分の都合のいいような理由になりがちなのではないかと言うことです。

理由は、あくまでも「後付けのおまけ」といった感じ。

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「理由」と「本心」

改めて、「理由」の意味を辞書で調べてみると、

「理由の意味」

  • 物事がそうなった、また物事をそのように判断した根拠。わけ。子細 (しさい) 。事情。
  • いいわけ。口実。
  • 哲学で、論理的関係においては結論に対する前提、実在的関係においては結果に対する原因。根拠。

となっています。

これから考えると、「理由」は何か行動などを起こした後に、それを説明するという意味。

なので、何か新しい事を始める前に理由を探すのは、ある意味「言い訳」「口実」なのかもしれないなと。

では本心の意味を辞書で調べると、

「本心の意味」

  • 本当の心。真実の気持ち
  • 本来あるべき正しい心。良心。
  • たしかな心。正気。
  • 本来の性質。うまれつき。

と説明されています。

理由を考えるよりも素直に自分の本心に従う事について

例え、自分が納得のいく理由を並べていたとしても、根底では自分の本心に従いたいが、「理由」によってそれを隠してしまうのでは無いかと思ったのです。

少し僕の話をさせていただくと、

現在(2018年)僕は「ワーホリを利用してカナダ(2017年〜2018年)」に滞在しています。

現在はワーホリを利用しての海外滞在3年目になります。

以前にオーストラリア(2016年〜2017年)にも滞在していました。

プロフィール」にもありますが、数年前にオーストラリアに行くまで海外になんて一回もいったことがなかった人間です。

むしろ行こうとすらも思っていませんでした。

ですが、ある日海外に興味が湧いてから海外に行きたいと強く思うようになり、現在も海外での生活を満喫している訳ですが、

僕の海外での生活については、体験談を読んでいただければと思います。(興味があればw)

ここでは、「なぜ海外に行こうと思ったのか?」についてのお話です。

はっきり言うと、今現在「なぜ海外に行こうと思ったんか?」についての理由は様々ありますね。

例えば、

海外に行こうと思った理由
  • 英語の上達のため
  • 海外での生活を体験するため
  • 日本以外の文化を体験するため
  • 様々な国の人と出会うため
  • 旅行のため

などが挙げることができます。

よく耳にするような理由だと思います。

ですが、よくよく考えるとこれらの理由って僕の中で後付け感が満点なんですよねw

正直言うと、海外に行く前に上記のような理由を考えていましたし、海外で生活している現在でも同じ理由を考えています。

誰かに「なぜ海外で生活しているのか?」「なぜ海外に行こうと思ったのか?」と質問されれば、上記のような事を答えますしねw

もちろん、上記のような理由はもちろんあると思います。ですが、改めて考えてみると「本当に僕は上記のような理由で海外に行こうと思ったのか?」と疑問が浮かびます。

なんとなく、海外に行く口実としてよくある理由を挙げているだけのような感覚がするんです。

そこで、考えてみたのですが「なぜ海外に行こうと思ったのか?」「なぜ海外で生活したいと思ったのか?」の理由なんて実は無いし、僕にとってそこまで重要では無いのでないと。

何が言いたいかと言うと、以前の記事「迷ったときは「楽しそう」を基準に選択する!決断できない時に使える方法!」でも書いていますが、

僕はただ単純に、 「海外に行くことが楽しそう!」だと思っただけなのではないかと。

はっきり言って「楽しそうだから」「興味があるから」って理由とは言えないかもしれないですが、あえて理由を挙げるとただ単純に、「海外に行ってみたかった」「海外に行くことが楽しそうだと思った」と至ってシンプルな理由が根底にあるよなぁっと。

さらに簡単に言うと、ただの「好奇心」または「探究心」すかね!

上記で言ったように、「自分の本心に素直に従っただけ」とも言えます。

なんだかんだ、「英語の上達のため」とか「海外の文化に触れたい」などと言っても、結局日本でも出来るような生活をしていますしねw

もはや、ただその場所に自分の身を置いていたいだけですね。

おそらく僕にとって理由なんて、実はなんでもいいのかもしれないなと思ったんですw実際に自分で付けて理由ですら、納得できずに疑問が浮かぶ時もありますからねw

理由の裏に隠された自分の本心

上記の仕事探しの例えで考えてみると、

仕事を選ぶ上で、「給料」「やりがい」「安定」「キャリア」などを考慮して選ぶと言いましたが、本当にそうなのでしょうか?

有名な企業に入りたい理由として、「給料」「キャリア」「安定」「やりがい」などを理由として考える多いかと思います。

ですが、実はその裏には理由とは別の本心があるのではないのでしょうか?

僕が上記で挙げたように、

「その企業で働くことが楽しそう!」とか、「とりあえず何か仕事を持たないと恥ずかしい」とか色々。

もちろん「楽しそうだから」「興味があるから」などと言うポジティブな気持ちだけでなく、「やっぱりちゃんと就職しなきゃ恥ずかしい」とか「別にやりたい仕事じゃないけど、嫌だけど働かなきゃなぁ〜」などと言った気持ちだってあるわけです。

なんか微妙にわかりにくい例えですが、結局僕が言いたいことは、

「様々な ” 理由 ”のおかげで自分の本心がわかりにくくなっているのではないか」と言うことです。

または、世間や周りの目などが気になるので、理由によって上手に本心を隠してしまっているのではないかと。

僕自身もそうですが、自分を納得させるためにやたらと理由を探してしまいますしねw

ですが、結局それって自分にとって都合がいい理由なだけであって、ただの口実・言い訳なのかなぁと。

言ってみれば、「自分または周りを納得させるための理由」と言う感じでしょうか。

まとめ

最後に簡単にまとめると、

「何かをやりたい、今やっていることに対しての理由なんてなんでもいいよなぁ〜」っと、

結局は自分の本心によって自分の行動を決定しているのではないかなっと言ったお話でした。

早い話が、場合によっては理由なんて無意味だし、果たしてそれが本当に適した理由なのかすらも微妙じゃなかと言ういことを言いたかったんですw

「年齢を理由に」とか「仕事を理由に」とか「家族を理由に」などと言って、何かを始めることをためらうこともあるかと思います。

結局それって、「やりたくない」ってことと同じですよね。

素直に「やりたくない」とは言えないから、「理由」というオブラートに包むと言った感じでしょうか。

まぁ、正直言ってやりたくないと言わなくても、何かと理由をつけてやらない時点で「やる気がない」とわかってしまうんですけどねw

もちろん、その人の置かれる状況によって違いはあると思いますけど、何かしらの理由を見つけてそれを言い訳に使っていると言う方も多いのではないかなと。

または、その理由が本当に自分の中で本当の理由だと勘違いして納得してしまっているだけなのではないのかなとも思います。

実は自分の本心は違うかもしれないのに。

小難しい誰もが納得できるよな理由を考えるよりも、素直に「楽しそうだから」または「なんとなく」と言ってしまってもいいのでは無いかなぁと。

なんとなく、理由をつけることによって無理やり自分を納得させてしまっているのではないかと感じることもあるなっと感じたと言うお話でした。

皆さんはどうでしょうか?

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