周りに流されないように振舞っているが、実は意地を張っているんじゃないかというお話!

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周りに流されない,意地,人生

周りに流されない人って、芯が強く自分というのをしっかり持っていて素敵です!

そんな方は人生の選択なども、周りの意見を参考にしつつも自分の意見をしっかり持っていて自分が正しい選択をできる人です。

僕も、そんな人間になりたいと常々考えています。

 

ですが、ふと気になったことがあるのですが、

「周りに流されない」ように気をつけているがために、実は「意地を張っているだけ」なんてこともあるのではないかと言う事に。

自分では周りに流されないように気をつけているのにも関わらず、その「周りに流されない」っということにこだわりすぎて、ただ単に「意地を張ってしまい」貴重な体験、楽しい時間を見過ごしてしまうなんて可能性もあるのではないかと!

 

いつも周りの意見などに流されて、自分の意見なんて全くないというのは少し問題がありますが、「周りに流されず、ブレがない人」の人の中には、実は周りに流されないのではなくて、意地を張っているだけの人もいるのでは?

そんなことを自身の実体験からふと疑問になりました。

自分は周りに流されないと思っている方! どうでしょうか?

実は、「周りに流されない」のではなくて「意地を張っている」だけなのでは?

 

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周りに流されない人とは?

「周りに流されない人」っと言うのはどういったことをいうのか?

僕の中での「周りに流されない人」のイメージは、

「発言や行動を自分の意思で行える人」です。

自分の意見をしっかり持っていて、相手に伝えようとする人。相手の意見に対して自分の意見が絶対に正しいと考えているのではなく、自分はこのように思うとしっかり主張できると言う点。

極端に言うと、周りの人たちが黒と言っても、自分が白と思うならば白と言える人。 周りの人達が右に行くと言う、でも自分は左に行きたいから左に行ける人。

捉え方によっては、「意見を曲げない頑固な人」「空気が読めない人」「協調性がない人」と捉えられるかもしれませんが、そのあたりはその人の性格にもよるかと。

もし、周囲の大多数の人が黒と言っていて、自分も黒と思うならば黒といい、白と思うならば白と言える人の事だと僕は考えています。

要は、自分で考えて人の意見をしっかり言える人ということですかね。

 

「周りに流されない」ことの難しさ

周囲の環境や人達に流されずにしっかりと自分も持って行動することはとても難しい事です。

例えば、社会に出ると、どうしても断れない飲み会やお付き合い、友達などの飲み会のお誘いも沢山あるでしょう。

以前の記事、「無駄な飲み会にはもういかない! クソつまらない飲み会は時間とお金の無駄!じゃあ無駄じゃない飲み会って?」でも書いていますが、本当につまらないと思う飲み会などは時間とお金の無駄です。

無駄な飲み会にはもういかない! クソつまらない飲み会は時間とお金の無駄!じゃあ無駄じゃない飲み会って?

2017.11.08

ですが、ついつい誘われると断れないとか、付き合いだからしょうがないなどと言って嫌々飲み会などに行く方多いかと思います。

ある意味、この社会で生き延びて行くための必須の技術ともいえます。

 

それに、「せっかくの誘いを断ったら、次回からもう誘ってもらえなくなる」「ノリが悪いと思われたくない」などと考えて、行きたくもない誘いに行くという方もいる筈。

この気持ちは僕も理解できます。

本当にたくさんの誘惑がある中、自分をしっかり持って行動するということは思っている以上に難しいです。

人との関わりは本当に大事ですし、お付き合いだって仕事でもプライベートでも大事なことです。

以前に、「一人の時間を楽しみまくっている時に、ふっと言われた「ある一言」に考えさせられたお話。」の記事でも書きましたが、

一人の時間を楽しみまくっている時に、ふっと言われた「ある一言」に考えさせられたお話。

2018.01.20

常に人からの誘いを断って自分の好きな趣味などに一人没頭するというのもアリだと僕は思っていますが、一人の時間ばかりを過ごすことによって、あなたの周りの友達の中にはあなたから離れていく人も出てくるでしょう。

「そうなれば、それまでの付き合いだったんだ!」と思えるならば、それでいいですが、僕個人的にはやはり少し寂しいなと思う時もありまね。

世間での流行りごとを自分だけ知らないとか、周りと全く違うことをしていると、不安になる時だってありますしね。

その点では、本当に芯が強くないと難しいです。

 

周りに流されないと言う思い込みからの意地

なんども言いますが、周りに流されずに、自分を持っている人って人間として魅力的です。

しっかり自分の意見を持っていて、しっかりとそれに沿って行動できる人。

 

ですが、ふと疑問に思ったのが、

もし、自分は周りに流されない人間だと思っていたとして、実はそれは「意地を張っている」だけってこともあり得るのではないかと?

 

どういうことか、僕の実体験から説明します。

現在僕は、小さい町で生活しています。

その小さい町でイベントが開催されました。地元の人達にすれば比較的大きなイベントで町中の人達が楽しみにしているようなイベントです。

そのイベントは1週間ぐらい続くのですが、その初日の夜には大勢の人がこぞってバーに行きパーティを楽しみます。

結論をはじめに言うと、僕はそのパーティに行きませんでした。

理由は、パーティーと言っても結局、飲んで騒いで、ダンスしてといった感じのイベントだからです。それならば、自分の好きな事をやっていたいと思ってのことです。

自分の周りの人たちは全員こぞって夜出かけて行きました。ですが、僕はそれを見送るだけ。

その時に思ったのですが、

「俺・・・もしかして意地を張っているんじゃないのか?」っと。

その理由は、基本的に僕はイベントなどの行事は好きです。

何かしらのその土地特有のイベントなどがあれば、とりあえず行ってみたいと思うタチです。なので、今までならば必ずと言っていいほど、参加していたはず!

でも行かなかった・・・。

「本当は、みんなと一緒に行きたいのではないのか?」っと自問自答もしました。

しかし、答えは出ませんw

僕の中で微妙な感覚になっていました。

タツキチ

行った事がないイベントにはいってみたい気もする。

でも、ただ飲んで騒いで、踊ってのパーティーには行きたくない。

だったら、自分の気持ちに正直になって行かない。

でも、どんな感じなのか興味はある・・・・。

みたいな感じですw

 

他の選択肢として、少しだけ様子を見て、つまらなかったらすぐに帰ればいいという事も出来たのですが、今回はその選択はせずです。

それなら、「行けばよかったのでは?」と思うかもしれませんが、どちらも本音なんです。

矛盾を承知で言いますが、「興味はあるけど、行きたくない」

補足

現在(2018年)僕は、「ワーキングホリデー制度」を利用して、「カナダ」に滞在しています。

そこでの小さな町での体験からの思いつきです。

 

この時にふと子供の頃の記憶が蘇りました。

あれは、事故で足を骨折して病院に入院していた時です。

あれは、僕が子供の頃夏真っ盛りの時期、地元の夏祭りの日でした。その当日、友達が夏祭りに行くついでに僕のところにお見舞いに来てくれました。(どっちがついでかは定かではないですけどねw)

その時に、ギプスで動かない足を引きずりながら、病院の窓から友達が夏祭りに行く姿を見送っていたのを思い出しました。

あの時は、本当に切なかった・・・・・。

一緒にお祭りに行きたかった・・・・。

特に、そのお祭り自体は初めてでもないし、特にこれといって楽しみがあるわけではないのですが、そのお祭りの雰囲気を味わいに行きたかった。

っという思い出がありました。

 

今回のことが、その時の僕の気持ちを思い出させましたw

子供の頃は、怪我をしていたので仕方がなかったのですが、今回は怪我もしていないのでもちろん行けましたけどね。

だけど、行かなかった。

「本当は行きたかったのではないのか?」

と自問自答しても、わかりません。

YESとも言えるし、NOとも言えるんです。

 

ここで、初めの話に戻りますが、

僕は、周りの皆んな全員がそのイベントに行く中、自分の心に素直に従って、自分の意思で行かないことにした。

だけど、そのイベント自体には興味はあった。

そこで、もしかして「僕は意地を張ってしまったのではないのか?」と思ったのです。

 

勿論、自覚している範囲では、そんなつもりは全くないです。後悔はしていません。

なのに、そんなことを考えるということは、心のどこかでは行きたいと思っていたのではないかと思ったわけです。

 

まとめ

今までだと必ずと言い切れるほど周りの皆んなが出かけるとなると一緒に出かけていました。

それが例え、僕があまり好きでない、ただ単に飲んで騒いで、ダンスするようなパーティーでもです。

だって、一人で残るのってなんか寂しいですし、もしかしたら、すげー楽しいイベントかもしれませんし。

 

とはいえ、結局、その後に「はぁ、疲れた・・・・」なんて言ってるのが目に見えているんですけどねw

 

最後にまとめると、

周りに流されないように意識して行動しているけど、実はただ単に、周りに流されまいと意地を張っている可能性もあるかもしれないなと言うこと

単純にいうと、「周りに流されない人」ではなくて、ただの「ひねくれ者」になってしまってるのではないのかと思ったわけです。

その時の判断によって、何かしらのチャンスを逃してしまう可能性もあるのではないかと!

多数派よりも、少数派になりたいがためにね。

 

要は、自分の気持ちに素直になることが大切ということでした。

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