「心を開く」って一体どうゆう状態なのか?自分の心にドアでもあるの?

いきなりですが、「心を開く」って一体どういうことなのでしょうか?

あたかも心にドアがあり、それがいつもは閉まっていて、ある時にそのドアそ開くと言ったイメージ。

他人と良い人間関係を築くには、「もっと心を開いた方がいい」などという意見も耳にしますよね。

そんな「心を開く」という表現ですが、それって一体どういうことなのでしょうか?

心を開くとは?
  • 「自分の悩みや考えを全て言えるという事?」
  • 「自分だけの秘密も言えるという事?」
  • 「飾らずに、ありのままの自分をさらけ出すという事?」

こんな感じですか?

とても仲の良い親友と呼べる相手には、「心を開く」けど、まだ友達歴が短い友達には「心は開かない」のはなぜでしょうか?

何よりも付き合いが長い家族には「心を開く」ものなのでしょうか?

僕自身も今まで何気なく使っていましたが、よくよく考えると正直「心を開く」ってどうゆう事なのか疑問が湧きましたw

そんな、「心を開く」という事についての僕の考察です。

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そもそも「心を開く」ってどういう状態なのか?

一般的な「心を開く」というイメージとしては、

誰かしらに対して、「自分の悩みを打ち明けたり」「自分の秘密を打ち明けたり」「素直な意見や考えを隠さずに打ち明けたり」と言った状態をその相手に対して「心を開く状態」と言えるかと思います。

要は、変に飾らず、変に気を使わず、ありのままの自分をさらけ出すと言った状態ですね。

ある意味、お酒を飲んで酔いが回った状態は「心を開いた状態」とも言えるかもしれません。

普段僕たちは、理性や自制心で感情や欲求を抑えています。

本当は自分の本音を言いたいけど、「これを言ったら確実に怒られるとか・相手を傷つけてしまう」と言った事を考えながら、その本音を押し殺して、当たり障りのない言葉や適切な言葉を選んでいるいますね。

それはの状態は「心を閉ざしている状態」とも言えるのではないかなと。

その反対に、「家族であったり・親友と呼べる信頼できる人」には、自分の本音や秘密などを包み隠さずに話せるという方もいるかと思います。

そのように、普段は本音や感情を表に出せないような事も、ある人の前では気兼ねなくありのままの自分を見せることが出来るという状況が「心を開いている状態」となのではないかなぁっと。

逆に「心を閉ざす」とはどう言った状態か?

では、その逆に「心を閉ざした状態」とは?

簡単にいえば、上記の「心を開いた状態」とは逆のことですねw

誰にも自分の本音や悩みを打ち明けず、感情も押し殺して相手に悟られないようにしたり、自分のことは絶対に相手に対して話さない、などと言った状態を「心を閉ざした状態」というのではないかと思います。

どうやって「心を開いている状態」を見分けるのか?

僕がそもそも「心を開く」ということに疑問を持った点がこれです!

そもそも、どうやって「心を開いている状態」だと判断するのでしょうか?

仮に自分が「心を開いた状態」だと考えて、

心を開いた状態とは?
  • 「誰かに対して、悩みを打ち明けた時?」
  • 「誰にも言ったことがない秘密をその人に打ち明けた時?」
  • 「ありのままの自分をさらけ出した時?」
  • 「相手のことを信頼できる相手だと分かった時?」

っと言った感じでしょうか?

僕の正直な考えを言わせていただくと、

「さっぱり、わかりませんねw」

仮に、欲望のままに行動をしている人がいたとしたら、果たしてその人は「心を開いている状態」と言えるのでしょうか?

自分の欲のままに、好きなことだけをして、好きなことを言いたいだけ言って、相手や周りの事なんか完全に無視!

僕は、少し違う気がします・・・。

ですが、自分を飾らずに、ありのままでの状態でいると考えれば、「完全に心を開いてますよねw」もう全開ですよw

これは僕の個人的な考えなのですが、

人によって、話す話題によって、話すタイミングによって「心を開く」事もあるし、「心を開かない」時もあると思っています。

ドアを開けたり、開けなかったり、少しだけドアを開けてみたりと言ったイメージではないかと。

以前に、「あなたにとって親友とはどんな存在ですか?仲の良い友達と何が違うの?」の記事で親友とはどんな存在なのかの僕の考えを記事にしました。

あなたにとって親友とはどんな存在ですか?仲の良い友達と何が違うの?

2017年9月9日

僕の場合、家族に言えないような事でも、「親友」と呼べる人には話せます。

正直相手が僕のことをどう思っているのかは、はっきりとは知りません。

「俺たちって親友だよな?」なんて聞いたことがないですw っというか聞くのもどうかと思っていますw

ですが、僕はその「親友」と呼べる相手のことを信頼しています。

どのぐらいか信頼しているかなんて野暮なことはあまり言いたくないですが、もし仮にその相手から「裏切られたとしても」「騙されたとしても」「いきなり拒絶されたとしても」許せるぐらい信頼しています。(そんなことされるとは考えてもいませんけどねw)

もちろん、本当にそんなことが起こったら、僕はかなり凹みますけどねw

僕にとってはそのぐらいの相手に対して「心を開いている状態」であると言えるのかもしれませんね。

しかし、だからと言って、その「親友」と呼べる相手でも、僕の全てを話している訳ではありません。

勘違いがないように、もし仮に自分のことを全て話せと言われれば、その相手には話すことは出来ると思っています。

ですが、別に話さなくてもいいことは話さなくてもいいと思っているという事です。

何が言いたいかというと、

別に「家族」や「親友」と呼べるような相手、信頼できて「心を開ける」相手だからと言って、何もかも話す訳でもないという事です。

話すことは話すけど、相手にとって興味がないことや、どうでもいいようなことは、話さない事もあるということです。

それが、僕にとってかなり重要な事(秘密)だとしてもです。

その反面、「親友」と呼べる相手にも話さない事を、付き合いが浅い相手にボソッと話す事もあると思います。

その相手のことを信頼している・していない関係なしにですねw

要は、相手によって、状況によって「どの部分の自分をさらけ出すか・どのぐらいの本音をさらけ出すか」を判断しているという感じだと思うのです。

例えると、

「ある人には僕の心のドアは半分開く」でも「ある人にはドアは4分の1しか開かない」かと思えば「いきなり全開に開く」という感じなのではないかと。

もちろん、初対面からドアを全開にすることはまずないですけどねw

または、相手によって開く「心のドア」が違うのかもしれないのかもしれないなとも思いますね。「心のドア」は一つしかないなんて誰も言っていませんしw

「今日は、左から三番目の黄色いドアを半開きぐらいで開こうかな〜」みたいな感じw

「心を開く相手」だけでなく、その日の気分や状況でも「心の開き方(開く心のドア)」が違うと言ったイメージです。

さいごに

少し無理やりなイメージですが、僕の中ではこれが「心を開く状態」というイメージです。

そもそも、誰にも知られたくないような秘密ぐらいあってもいいと思いますし。

それを墓まで持って行ってもいいと思いますw

いくら、「心を開いている相手」だからと言って、言いたくもない自分の秘密をいう必要なんてないですよねw

それは相手に対してもです、いくら「家族」や「親友」と呼べる相手であっても、別に言いたくない事を話して欲しいとは思いません。

逆に距離が近いだけに言えない事も中にはあるのではないかと思いますし。

ですので、「自分のことをあまり話さない」=「心を開いていない」にはならないと僕は思っています。

相手が自分の話をあまりしないからと言って、「心を開いていない」っという訳ではないのではないかと。

以前の記事、「普段自分の事をあまり話さない僕がブログをやっている理由!」で、あまり自分のことを話さないのには理由があると言ったことを書きました。

普段自分の事をあまり話さない僕がブログをやっている理由!

2018年1月18日

僕自身も「自分のこと」をベラベラと話すタイプではないですが、別に話せない訳ではないですし、聞かれればいくらでも話します。

僕からしてみれば、「心を閉ざしてる」つもりは全くないです。 むしろ、常に全開とまではいかないまでも、「心のドア」は常に開いているとすら思っていますけどねw

「それぐらい、ウェルカムのつもりでいるんですけどねぇ〜・・・w」

それに、人間観察が好きな人以外は、皆んな他人のことにそこまで興味は無いと思いますしねw

「皆んな自分のことで精一杯だと思いますしw」

自分の家族や友達を見てても、そう思う時があるぐらいですよw

タツキチ

もしかしたら、だからこそ僕はこうしてブログを書いているのかもしれないw

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