「一度きりの人生なんだから、自分の好きにやればいいよ!」
僕は、この言葉に何度も救われました。
その反面、寂しい思いもした・・・。
上記の言葉は、僕の家族がいつも僕に対して言ってくれる言葉です。
細かくいうと、僕の母と姉にです。
ある意味、僕の人生の目標とも言える「自分らいしく・楽しく生きる」
このような考えに至ったのは、上記の言葉の影響もあるのではないかとすら思います。
前の記事、「「帰りたいんだけど、帰りたくないという矛盾」について、ある仮説を立ててみた!」で、今現在の気持ちを書きなぐってみました。
そして、日本の家族について考えている内に、ふと色々な事が頭に浮かびました。
上記で紹介した言葉もその一つです。
「一度きりの人生なんだから、自分の好きにやればいいよ!」
もちろん自分が置かれている状況によってもこの言葉の捉え方は変わってくると思います。
僕の場合は、「物分かりのいい家族達」「僕の家族はいい意味で放任だなぁ」などという感じの事を考えていました。
あなたは、どのような印象をこの言葉から受けますか?
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「自分の好きにやればいいよ!」の一言に助けられた出来事
僕がまだ10代の頃にも母親からこの言葉を何度も言われた記憶があります。
以前の記事「高校中退したその後の選択について!中退したって人生終わるわけがない!」でも書いていますが、僕は高校を中退しています。
未だに印象に残っているのが、高校を辞めたその日のことです。
学校に自分の荷物を母親と取りに行きその帰り道、母親が運転する車の中で言われました。
「一度きりの人生なんだから、自分の好きな事をやればいいよ!」っと。
その時、僕はてっきり説教をされるのかと思っていたので、拍子抜けw しかし、そういってもらえてホッとした部分もあります。
そして、その時僕は車の中で一つ「ある事」を決意しました。
「高校は辞めた、だからと言って何事も中途半端なやつだと思われないような人間になる」っと。
それは、「仕事であったり」「自分の好きな事であったり」色々なことに対してですw
今現在もですが、「高校中退」というのは何事においても印象は良くないです。特に家庭の事情など特別な理由がない限りは。
僕のように「つまらないから」などと言った理由なんてもっての他です。
そんな考えもあって、そのように決意したのだと思います。 それは、現在(30代)になった今でも僕の中に残っていますね。
「自分の好きにやればいいよ!」の言葉について
このブログでも紹介していますが、現在(2018年)僕は「カナダ」に滞在しています。
しかも、これが海外生活3年目です。
僕の「プロフィール」でも上記でも言いましたが、「自分らいしく・楽しく生きる」ために日々試行錯誤中です。
友達から、「いい歳して何やってるの?」「いつまでそんなことやってるの?」などと言われたこともあります。
それとは反対に、「自由でいいねぇ〜」「羨ましい〜」などと言う友達もいますね。
僕の家族はと言うと?
やはり
「一度きりの人生なんだから、自分の好きな事をやればいいよ!」
っと未だに言ってきますw
不思議なことに、全くと言っていいほど僕がしていることに、反対意見も否定的な意見も、小言すら言いません。
僕は、この言葉に対して2つの対照的な感情を抱きました。
「嬉しさ」と「寂しさ」です。
- 「自分の好きにやればいいよ」と言う自分に全てを委任してくれているような「嬉しさ」
- 「自分の好きにやればいいよ」と言う自分に対して放任されているような「寂しさ」
です。
「自分の好きにやればいいよ」と言う自分に全てを委任してくれているような「嬉しさ」
さらに詳しく言うと、
家族は僕の考え・やっていることを否定もしなければ、反対もしないと言う点。
まぁ、大人ですからそのあたりは自分で判断していくのが当たり前といえば当たり前なんですが、現在の場合は色々と小言を言ってこない、嫌味を言ってこないと言う点ですかね。
例えば、
- 「早く結婚しろ」
- 「就職しろ」
- 「いつまでもフラフラしてるな」
などと、言ったこと。
ですが、僕がまだ10代だった頃は、少し捉え方が違っていました。
10代の頃は、素直に嬉しかったです。
と言うのも、自分のことは自分で決めろと言われているような感覚になったからです。
言い方を変えれば、「自分の好きなようにしろ」「自分のことは自分で責任を持て」と言われている感覚でした。
単純にいえば、17歳の時にそのようなことを言われたので「大人になった気分」になったのだと思いますw
「自分の好きにやればいいよ」と言う自分に対して放任されているような「寂しさ」
これは昔のことですが、反対に「寂しい」と感じることもありました。
簡単に言うと、「自分のことは自分で考えろ!」と突き放されたような感覚になったこともあります。
特に、否定も反対もしないという点に関して。
僕の記憶の中では、高校を辞めたあたりから僕がやることに関して、家族から全く否定も反対もされた覚えがありませんw
いつも、「一度きりの人生なんだから、自分の好きにやればいいよ!」と言っていたように感じます。
それもあって、高校を辞めたあたりからは、全て自分のことは自分で決めるようになっていきました。
っと言うか、たまに「これからどうしよう・・・・」などと弱音を吐いたりしても、「知らないよ、自分の好きなことやればいいんじゃない?」と言うばかりw
「自分で決める以外に道がなかったとも言えますw」
当時の僕(10代から20代初めぐらい)は、そんな言葉に少し「寂しさ」を覚えました。
自分の現状の悩みを相談して、何かしらアドバイスが欲しいと思ったのに突き放されるというw そんな時に「僕の家族は僕に興味がないのではないか?」などと考えたりもしましたw
「まぁ、なんと言うか張り合いがないんですよねぇw」
反対も否定もしないし、むしろ「いいじゃん!自分の好きなことをやりな!」と背中を押しているのか、人ごとなのかはわかりませんが、そればかりw
そんな返答しか返ってこないので、いつの間にか僕は親には殆ど相談しなくなりましたねw 別に相談しづらいとかではなくて、例え相談しても返ってくる返答が同じだからですw
まとめ
「一度きりの人生なんだから、自分の好きにやればいいよ!」
僕は、この言葉のおかげで今の自分があるように感じています。
ただ、まだ若い年齢の時に上記の言葉ばかり言って、何もアドバイスもくれない言うのはどうかとも感じますけどねw
「本当に僕に興味がなかったのか」「ただの放任主義だったのか」「本気でそうすればいいと思っていたのか」は定かではないですけどねw
ですが、僕の場合はそれはそれで良かったのかなと感じます。
年齢が若い内から、何事に対して自分で考えて、行動するようになったと思うからです。「少し無理やりかもしれないですけどねw」
そんな感じで「一度きりの人生なんだから、自分の好きにやればいいんじゃない?」
かなり人ごとのように聞こえるのは僕だけだろうか?笑
とはいえ、自分の人生決めるのは自分だしね!