皆さん、「コンフォートゾーン」という言葉を耳にしたことありますか?
「居心地がいい環境」という意味で使われている言葉ですね。
「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」というのは、人によって違いがあると思います。
「何年も務めている仕事環境」「昔から仲の良い友達がいる環境」「自分の好きなことが出来る環境」
などなど、様々な「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」があります。
たとえ、ある場所や環境が僕にとっては「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」だと感じていても、他の人からすれば、全く逆に感じるという可能性だってありますしね。
そんな「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」ですが、こんなことを耳にします。
「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)から抜け出すことによって、さらに成長できる」
とか
「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)にいると、抜け出せなくなる」
などといったこと。
要は、「現状の環境や自分を変えるのか、変えないのか」といった意味合いですね。
そこで、僕が疑問に思ったのは、
「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」なのに、わざわざ抜け出す必要があるのか?」
心地がいい環境に身を置けているならば、そして自分が満足しているならば、その環境に身を置いていたっていいのではないのでは?
っと、ふと思ったわけです。
「抜け出した方がいいとか」「抜け出さないとダメだ」などと言うことを聞くと、
あたかも、その「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」にいては成長できない、理想の人生を送れないみたいなニュアンスが含まれているように感じるんです。
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「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」とは?
「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」とは、「ぬるま湯に浸かっている感じ」と例えられることがあります。
確かに、「ぬるま湯」に浸かっている時って、妙に気持ちがいいですよねw
熱すぎず、冷たすぎず、ちょうどいいあの暖かさ・・・。
ぬるま湯に浸かっているとなかなか抜け出せませんよねw っと言うか、逆に外に出ようとすると、外は寒く感じるので出るに出れませんよねw
あの感じですw
もう一つ例えをあげると、
仕事環境などでもよくあると思います。
「仕事自体には、やりがいはあまりないが、周りの上司や同僚、給料などは申し分ないと言う場合」
自分の本心からやりたいと思える仕事ではないけど、そのほかの周りの環境自体が居心地いいばっかりに、自分の本当にやりたい仕事をするための行動がなかなかできず、ズルズルとその職場でなんとなく働いていると言う場合。
このような場合も、「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」に自分が身を置いているために、その環境から外に出ることがなかなか出来ないでいると。
そんな感じの環境のことではないかと。
「思い当たる方もいるのではないですか?」
「僕はありますよ!」
「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」から抜け出した実体験
僕自身の「プロフィール」でも書いていますが、以前に「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」から抜け出して、海外という全く僕にとって未知の場所へ行きました。
仕事場の環境はとても居心地が良く、仕事内容も僕がやりたいと思っていた仕事でした。
もちろん、給料などほかの面では大満足といったことは正直なかったですが、それでもとても充実していたことは事実です。
じゃあなぜ、その「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」から抜け出したのか?
それは、もはや「居心地のいい環境」と思えなくなったからだと僕は気がつきました。
上記で仕事の例えで書いているように、僕自身なまじ周りの環境が居心地良かったので、ズルズルと何年も悶々としながら過ごしていました。
「これで良いのか?」「これで俺は満足なのか?」などと自分に疑問を投げかけながらも、その「居心地のいい環境」から抜け出せない日々を過ごしていたということです。
ですが、僕はそこから抜け出しましたw
実際に「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」から抜け出してみて
実際に、「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」を抜けだしてみて、僕の中で何かが変わったのか?
実を言うと、「特に何かが変わった気がしませんw」
正確には、様々なことが変わってはいるのですが、僕自身の気持ちというか、僕自身は何も変わっていないという意味ですね。
強いて言えば、「悶々とした気持ちがなくなった」ことですかね。
もう少し詳しくいうと、
僕の場合は、今までに一度も行ったことがないという海外へ行きました。
「言葉も」「文化も」「習慣も」「知り合いもいない」という環境に行ったわけですが、そんな環境に行けば、もはや全てが変わりますよねw
ですので、実際には僕の周りの環境や考え方などは、変わりまくりですw
海外で生活することにも慣れてくると、その海外で生活することも「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」になってきます。(逆に居心地が悪いと感じるようになる人もいるかと思いますけどね)
それに、ある程度の期間生活していれば、知り合いも増えますし、友達だってできます、お気に入りの町や場所だって見つかります。
そうすれば、次第にその環境が「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」になってくるんです。 もちろん、嫌なことや、辛いことはありますが、それは日本にいてもどこにいても同じはずです。
要は、「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」なんてどこに行っても見つかるし、常に心地がいいと感じる環境も変わってくいくと言うことだと僕は思います!
これは以前の「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」を抜けだしてみてから気づいたことですが、以前までは「居心地のいい環境」だと感じていた環境が逆に感じるようになってしまいました。
その理由は定かではありません。
僕自身が変わったのかもしれませんし、その環境や人が変わったのかもしれません。
正直それはどっちでも良いですw 変わらないものなんてないと思ってますので。
面白いことに、一度でも「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」を抜けだしてしまうと、その場所から抜け出すことに抵抗がなくなりますw(僕の場合は)
そして、どこにいても自分の「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」を見つけだしますw っと言うよりは、心地がいいと感じる環境にしか長く留まらないと言った方が正しいかもしれません。
居心地が良くなければ、違う「居心地のいい環境」を探しますw
なので、「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」を抜け出すと言う感覚がなくなっているのかもしれません。
または、僕の場合「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」の範囲が広いのかもしれません。
何が言いたいかと言うと、
「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」を抜け出しても、抜け出さなくても、結局はその環境に自分が満足しているならば、「どっちでもいい」のではないかと。
「そんなの当たり前じゃん!」って?
僕は実際に「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」から抜け出してみて身を持って体験して気がつきましたw
そして、思ったのが、もし本当に満足がいく「「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」にを置いているのならば、わざわざそこから抜け出す必要はないなと言うこと!
その環境を存分に満喫すればいいのではないかと!
もし、この記事を読んで、「そんなことはない!」「今の環境を変えたいと」などと本気で思ったならば、いくらでも「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」から抜け出せばいいだけです(それがなかなか難しいんですけどねw)
それに、現状で「居心地のいい環境」だと感じていても、何かしらの要因によっていい環境だとは感じられなくなることだって普通にあります。
例えば、
上司が変わったとか、仲の良い同僚が辞めてしまったとか。僕自身も経験がありますが、居心地はいい環境なんだけど、なんかしっくりこないと感じるようになることだってありますしね。
もちろん、周りの人や環境だけでなく、自分自身も常に同じように感じるとは限らないですからね。
さいごに
「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」を抜け出せないというのは、結局は別にそこまでして抜け出す必要がないと思っているからではないかと僕は思います。
または、あなたの脳が必死であなたを引き止めてるのかもしれませんねw (本当に抜け出していいの?ってw)
本気で「居心地のいい環境」から抜け出したいと思っているのならば、意地でも抜け出していくものではないかと思います。よほどの事情がない限りは・・・。
そうでなければ、わざわざ「「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」から抜け出したいなんて誰も思わないと僕は思うのですがw
「だって、心地がいいんですからw」
さすがに、「ぬるま湯」に浸かっていると、風邪をひくとか、仕事に遅れるとか、服を着れないと言うように、何も出来なくなるので、仕方がないので「ぬるま湯」から出ますよね?
それと同じで、「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」から抜け出さなくてもいい状況ならば、抜け出す必要もないと、
ですが、何かしらの事情や感情(しっくりこない、満足できない)などと言う抜け出さなければいけないような状況ならば、仕方なく抜け出すのではないのかなとw
状況や捉え方によっては、「抜け出す」ではなくて「逃げ出す」と捉えられてしまうかもしれませんが、それでも環境を変えることを望んでいるならば、それでもいいと思います。
ただ単に言葉が違うだけですしw
本当に心地がいいと感じる居心地のいい環境があるならば、抜け出す必要もないと思う
それに「居心地のいい環境(コンフォートゾーン)」なんて、些細なことでもすぐに変わってしまう気まぐれなやつなのかもしれないなと思う